内定式と楽天とエロゲーの歴史
2004年10月1日可愛い女の子に会ったあとはエロゲーがやりたくなる。しかし俺にとってエロゲーは決して代償行為なんかじゃない。
えー、内定式行って来ました。「日経くらい読んでないとお話にさえならないよ」とか、「3ヶ月間頑張ったのは認めたいけど、これじゃあ問題外だね」とか、なかなか言ってくれる会社でした。立食パーティのあと、内定者だけで飲み会。
ああ、やっぱり違うわ。
一般人だな、みんな。さも当然のようにリアルに下の話が出る。
「mario君て愛撫巧そうだよねー。めっちゃ熟練者みたいな顔しとんやん」「そうそう。言葉責めとかしそうやわー!」
関西女二人にいいように言われる俺。なぜ言い返さない。DOTEIは罪じゃないよ!
結局その場の雰囲気に適当に合わせたおかげで「まじめそう」「優しそう」「口巧い」って言ういつも通りのレッテルが貼られましたとさ。いつ俺の本性に気づくんだドキドキ。
でもね、大阪の若い女の子はいいよ。おばさんはどうでもいいが、若い子はいい。いいんだ。
http://www.narinari.com/logs/?3356
馬鹿だ。特にAAは。
あー、酔ってるか。エロゲーについて語る。
そもそもエロゲーってのはもともとゲームなんて代物じゃなかったし、対象だってオタじゃなかったんだ。パソコンを持っているお父さん達のために「ゲーム感覚」で「Hなコンテンツ」を届けるのが主務だったんだよ。で、数が増えるにしたがって、低年齢層(具体的には新社会人)を狙った「同級生」やら調教って要素に尖った「SEEK」やらが出てきたんだ。
時は流れて95年くらい。WINDOWS95騒ぎで一気に「一家に一台」感覚が列島を覆いつつあったんだ。HDDが1ギガの大台に乗り始め、CDロムドライブ搭載のパソコンが市場を席巻し、富士通のデスクパワーやキャンビー、バリュースターやタウンズなど、有名メーカーが「初心者向け」パソコンをボーナス商戦で売りまくる。ここでエロゲーの進化が始まるんだ。
CDロムの採用、HDDの増加はゲーム性とボリュームの劇的な拡大を促し、WINDOWS95の画像処理能力は256色からハイカラー、フルカラーへと解像度を大幅に引き上げていく。いくつかのメーカーがこの流れに早くから身を任せ、明けた96年の初期に良質のゲームを発売していく(鬼畜王ランス、痕など)。他にもパソコン初心者の購入インセンティブを刺激するべく様々なゲームが出された。その中には「一家に一台=若者も触れる」事から若い人を狙ったゲーム(お兄ちゃんへ、とか)も発売され、その流れは97年のTo Heartで一応の収束を見る。
ヒロインとの長い期間にわたる触れ合いを描いたライトなシナリオとキャラクターを持ち道化回しに徹する新しい主人公像はえらく受けた。当時のエロゲー雑誌を確認してもらうとどこも特別付録にTo Heartがらみのものを付けていて、その怪物ぶりが窺えようというもの。当時は陵辱モノ全盛期で、恋愛アドベンチャーってジャンルが今じゃ考えられないくらい少なかったし。個人的には古い時代の最後の作品としてpiaキャロットへようこそ!2を。新しい時代の旗手としてTo Heartを推したい。発売時期は前後するが、やればわかる。主役の性格とかゲームの内容とか。
東鳩の「浩之ちゃん的主人公」は使い勝手が良かった。いままでヒロインとの会話の中で肯定的な意見、なあなあな、優等生的な話題しかこなせなかった主人公が、自分の意志を持って行動し、発言するのだ。ここに至りエロゲーのスタンスが主人公に自分を投影する形ではなく、主人公を自分にフィードバックする形となった。プレイヤーを「従者」にした主人公は好きに動き、恋をし、ハッピーエンドに至る。
主人公がイエスマンでなくなったことにより、ヒロイン達も様々な変貌を遂げる。「スポーツ好き」「おっとり」「お嬢様」などの括りで捉えることの出来ない、次代のヒロインもその存在を許されたのである。予測不能な個性的ヒロインと、その魅力を引き出し、プレイヤーに見せ付ける主人公。それはまるでドラマのようであり、プレイヤーは視聴者としてさながら「クリックをする装置」の如くそのゲームの観覧者となる。
この状態に次の変化が訪れるのはKeyの業界参入を待たねばならないわけだけど今日はこの辺りで。しかし読み返したらキモイキモイヒーとばかりに削除したくなりそうだ。今迄で一番長いし。
ちなみにこれは評論でもレポートでも批評でもないです。単なる感想文。論理の飛躍とか色々言われても困る。
えー、内定式行って来ました。「日経くらい読んでないとお話にさえならないよ」とか、「3ヶ月間頑張ったのは認めたいけど、これじゃあ問題外だね」とか、なかなか言ってくれる会社でした。立食パーティのあと、内定者だけで飲み会。
ああ、やっぱり違うわ。
一般人だな、みんな。さも当然のようにリアルに下の話が出る。
「mario君て愛撫巧そうだよねー。めっちゃ熟練者みたいな顔しとんやん」「そうそう。言葉責めとかしそうやわー!」
関西女二人にいいように言われる俺。なぜ言い返さない。DOTEIは罪じゃないよ!
結局その場の雰囲気に適当に合わせたおかげで「まじめそう」「優しそう」「口巧い」って言ういつも通りのレッテルが貼られましたとさ。いつ俺の本性に気づくんだドキドキ。
でもね、大阪の若い女の子はいいよ。おばさんはどうでもいいが、若い子はいい。いいんだ。
http://www.narinari.com/logs/?3356
馬鹿だ。特にAAは。
あー、酔ってるか。エロゲーについて語る。
そもそもエロゲーってのはもともとゲームなんて代物じゃなかったし、対象だってオタじゃなかったんだ。パソコンを持っているお父さん達のために「ゲーム感覚」で「Hなコンテンツ」を届けるのが主務だったんだよ。で、数が増えるにしたがって、低年齢層(具体的には新社会人)を狙った「同級生」やら調教って要素に尖った「SEEK」やらが出てきたんだ。
時は流れて95年くらい。WINDOWS95騒ぎで一気に「一家に一台」感覚が列島を覆いつつあったんだ。HDDが1ギガの大台に乗り始め、CDロムドライブ搭載のパソコンが市場を席巻し、富士通のデスクパワーやキャンビー、バリュースターやタウンズなど、有名メーカーが「初心者向け」パソコンをボーナス商戦で売りまくる。ここでエロゲーの進化が始まるんだ。
CDロムの採用、HDDの増加はゲーム性とボリュームの劇的な拡大を促し、WINDOWS95の画像処理能力は256色からハイカラー、フルカラーへと解像度を大幅に引き上げていく。いくつかのメーカーがこの流れに早くから身を任せ、明けた96年の初期に良質のゲームを発売していく(鬼畜王ランス、痕など)。他にもパソコン初心者の購入インセンティブを刺激するべく様々なゲームが出された。その中には「一家に一台=若者も触れる」事から若い人を狙ったゲーム(お兄ちゃんへ、とか)も発売され、その流れは97年のTo Heartで一応の収束を見る。
ヒロインとの長い期間にわたる触れ合いを描いたライトなシナリオとキャラクターを持ち道化回しに徹する新しい主人公像はえらく受けた。当時のエロゲー雑誌を確認してもらうとどこも特別付録にTo Heartがらみのものを付けていて、その怪物ぶりが窺えようというもの。当時は陵辱モノ全盛期で、恋愛アドベンチャーってジャンルが今じゃ考えられないくらい少なかったし。個人的には古い時代の最後の作品としてpiaキャロットへようこそ!2を。新しい時代の旗手としてTo Heartを推したい。発売時期は前後するが、やればわかる。主役の性格とかゲームの内容とか。
東鳩の「浩之ちゃん的主人公」は使い勝手が良かった。いままでヒロインとの会話の中で肯定的な意見、なあなあな、優等生的な話題しかこなせなかった主人公が、自分の意志を持って行動し、発言するのだ。ここに至りエロゲーのスタンスが主人公に自分を投影する形ではなく、主人公を自分にフィードバックする形となった。プレイヤーを「従者」にした主人公は好きに動き、恋をし、ハッピーエンドに至る。
主人公がイエスマンでなくなったことにより、ヒロイン達も様々な変貌を遂げる。「スポーツ好き」「おっとり」「お嬢様」などの括りで捉えることの出来ない、次代のヒロインもその存在を許されたのである。予測不能な個性的ヒロインと、その魅力を引き出し、プレイヤーに見せ付ける主人公。それはまるでドラマのようであり、プレイヤーは視聴者としてさながら「クリックをする装置」の如くそのゲームの観覧者となる。
この状態に次の変化が訪れるのはKeyの業界参入を待たねばならないわけだけど今日はこの辺りで。しかし読み返したらキモイキモイヒーとばかりに削除したくなりそうだ。今迄で一番長いし。
ちなみにこれは評論でもレポートでも批評でもないです。単なる感想文。論理の飛躍とか色々言われても困る。
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