ISBN:4062648806 文庫 恩田 陸 講談社 2001/07 ¥700
tudayamaから借りました。本人の書評は途中までしか読んでない。こういう本は先入観を持って読むとその形を容易に変えてしまうから。
1章。オチがちょいと小粋な小咄って感じだった。特に可もなく不可もなく。作中作とは少し違うけど、登場人物が読む本が読者の読んでいる本である、現実と架空がオーバーラップするような展開の話は今までもいくつか読んでるので目新しさも無く。
2章。同じく「三月は〜」が曰くつきの本として出てくるけど、設定が変わってる。ここで内容が女二人の旅って事で「北へ」と「西へ」で方向こそ違うものの、作中の「三月は〜」と同じだと言うことに気づく。試しにここに列挙しよう。
本書
第一章・待っている人々
第二章・出雲夜想曲
第三章・虹と雲と鳥と
第四章・回転木馬
作中の「三月は〜」
第一部・黒と茶の幻想「風の話」
第二部・冬の湖「夜の話」
第三部・アイネ・クライネ・ナハトムジーク「血の話」
第四部・鳩笛「時の話」
ここで夜想曲=ナハトムジークって事に気づく。意味ありげだ。アイネ・クライネ・ナハトムジークといえばモーツァルトだけど、関係あるのかねえ。
ところで途中出てきた義眼の異人については語られずじまい。他の章にオーバーラップしてくるのか。それとも第一章の圷氏とイコールなのか。まだ何も分かってこない。
3章。高校生の視点で語られる形?高校時代は憧れと憧憬と後悔と郷愁が入り乱れた何かを喚起するから、自分の世界で浸るならともかく、文章にして他人の世界観に触れるのは好きじゃない。どんな世界でも自分には無い要素があって不安になり、それでいて羨ましく思えるから。とりあえず登場人物を等身大で嫉妬し、憎悪するような自分じゃあ恋愛小説は読めないな。そして美沙緒の描写から自分はこういう女が心から嫌いだと言うことを確認して不快になる。ラブを確かめるのは心ときめくけど、ヘイトを確信しても嫌な気分になるだけだ。
話が逸れた。高校生ばかりかと思ったら奈央子って大学生も出てくるみたいね。故郷が長野って2章の隆子の出身地だよな。で、話自体もどうやら異母姉妹とか血縁が絡んでくるみたいで「三月は〜」の3部を思い出させる。さらに奈央子は出版社への就職が決まっている。これまた何の意図やら。「虹と雲と鳥と」が美沙緒の書いた4部作の小説だとすると「虹と〜」=「三月は〜」とか思っちゃってもう意味不明。お話としては非常に読めるものでした。
4章。もう疑いなくこの本は1章に出てきた「3月は〜」をなぞってる。そして取り留めなく場面が切り取られるだけの内容。途中出てきた黒と茶のウサギは「三月は〜」一章のオマージュか?マーチ・ラビット?途中挿入される意味不明な話は2章で語られている「三月は〜」の第三部の話なのか。聖とか黎二って名前は一致するけど話がまるでかみ合わない。ラフカディオ・ハーンと思しき人物の登場と延々と続く「書き出し」の話題。そして話がまるでかみ合わないままに本編終了。
なんというか、もし感想文を書けといわれたら困る作品だった。面白い面白くない以前に理解できないことが多すぎる。はじめから終わりまで読者としての自分の立ち位置が分からなかった。不安定で不気味で、そのくせ読むことが止められない、どこか脅迫的な魅力。
自分の理解力が欠けているというせいもあるだろうし、作者が正解を用意してない可能性もある。でも可能性として一番大きいのは今の自分にこの作者の世界観と摺り合せるだけの価値観が存在しないんじゃないか、と言うことだ。時間を置いて読めば解けなかった謎がその姿を顕にするのかもしれないけど、残念ながら一晩しか、一度だけしか読めない本だった。この「三月は深き紅の淵を」は。かくてこの本はまた、心の奥に割り切れない不理解の残滓を残した読者を一人残してしまった。
結局読了に一晩かけてしまい、今は朝の6:00.一晩中もやもやとした世界に迷い込んでいたかと思うと頭がクラクラする。今振り返ったらこの世界が音も立てずに変貌してるんじゃないかという不安に駆られる。それほどまでに恩田陸の世界観が深かった(あるいは自分の目が彼女の世界では役に立たなかった)せいだろうか。でも一方でこの作者の存在自体に疑いを抱く自分がいる。本当にこの本は誰かに書かれたものなのか?この本は製本されたものではなく光や波動のように「ただそこにあるもの」なんじゃないだろうか。
取り止めが無くなったからこの眩暈を止めるためにとりあえずテレビをつけようと思う。このまま寝てしまうと三月の国に迷い込んでしまわないとも言い切れないのだ。
tudayamaから借りました。本人の書評は途中までしか読んでない。こういう本は先入観を持って読むとその形を容易に変えてしまうから。
1章。オチがちょいと小粋な小咄って感じだった。特に可もなく不可もなく。作中作とは少し違うけど、登場人物が読む本が読者の読んでいる本である、現実と架空がオーバーラップするような展開の話は今までもいくつか読んでるので目新しさも無く。
2章。同じく「三月は〜」が曰くつきの本として出てくるけど、設定が変わってる。ここで内容が女二人の旅って事で「北へ」と「西へ」で方向こそ違うものの、作中の「三月は〜」と同じだと言うことに気づく。試しにここに列挙しよう。
本書
第一章・待っている人々
第二章・出雲夜想曲
第三章・虹と雲と鳥と
第四章・回転木馬
作中の「三月は〜」
第一部・黒と茶の幻想「風の話」
第二部・冬の湖「夜の話」
第三部・アイネ・クライネ・ナハトムジーク「血の話」
第四部・鳩笛「時の話」
ここで夜想曲=ナハトムジークって事に気づく。意味ありげだ。アイネ・クライネ・ナハトムジークといえばモーツァルトだけど、関係あるのかねえ。
ところで途中出てきた義眼の異人については語られずじまい。他の章にオーバーラップしてくるのか。それとも第一章の圷氏とイコールなのか。まだ何も分かってこない。
3章。高校生の視点で語られる形?高校時代は憧れと憧憬と後悔と郷愁が入り乱れた何かを喚起するから、自分の世界で浸るならともかく、文章にして他人の世界観に触れるのは好きじゃない。どんな世界でも自分には無い要素があって不安になり、それでいて羨ましく思えるから。とりあえず登場人物を等身大で嫉妬し、憎悪するような自分じゃあ恋愛小説は読めないな。そして美沙緒の描写から自分はこういう女が心から嫌いだと言うことを確認して不快になる。ラブを確かめるのは心ときめくけど、ヘイトを確信しても嫌な気分になるだけだ。
話が逸れた。高校生ばかりかと思ったら奈央子って大学生も出てくるみたいね。故郷が長野って2章の隆子の出身地だよな。で、話自体もどうやら異母姉妹とか血縁が絡んでくるみたいで「三月は〜」の3部を思い出させる。さらに奈央子は出版社への就職が決まっている。これまた何の意図やら。「虹と雲と鳥と」が美沙緒の書いた4部作の小説だとすると「虹と〜」=「三月は〜」とか思っちゃってもう意味不明。お話としては非常に読めるものでした。
4章。もう疑いなくこの本は1章に出てきた「3月は〜」をなぞってる。そして取り留めなく場面が切り取られるだけの内容。途中出てきた黒と茶のウサギは「三月は〜」一章のオマージュか?マーチ・ラビット?途中挿入される意味不明な話は2章で語られている「三月は〜」の第三部の話なのか。聖とか黎二って名前は一致するけど話がまるでかみ合わない。ラフカディオ・ハーンと思しき人物の登場と延々と続く「書き出し」の話題。そして話がまるでかみ合わないままに本編終了。
なんというか、もし感想文を書けといわれたら困る作品だった。面白い面白くない以前に理解できないことが多すぎる。はじめから終わりまで読者としての自分の立ち位置が分からなかった。不安定で不気味で、そのくせ読むことが止められない、どこか脅迫的な魅力。
自分の理解力が欠けているというせいもあるだろうし、作者が正解を用意してない可能性もある。でも可能性として一番大きいのは今の自分にこの作者の世界観と摺り合せるだけの価値観が存在しないんじゃないか、と言うことだ。時間を置いて読めば解けなかった謎がその姿を顕にするのかもしれないけど、残念ながら一晩しか、一度だけしか読めない本だった。この「三月は深き紅の淵を」は。かくてこの本はまた、心の奥に割り切れない不理解の残滓を残した読者を一人残してしまった。
結局読了に一晩かけてしまい、今は朝の6:00.一晩中もやもやとした世界に迷い込んでいたかと思うと頭がクラクラする。今振り返ったらこの世界が音も立てずに変貌してるんじゃないかという不安に駆られる。それほどまでに恩田陸の世界観が深かった(あるいは自分の目が彼女の世界では役に立たなかった)せいだろうか。でも一方でこの作者の存在自体に疑いを抱く自分がいる。本当にこの本は誰かに書かれたものなのか?この本は製本されたものではなく光や波動のように「ただそこにあるもの」なんじゃないだろうか。
取り止めが無くなったからこの眩暈を止めるためにとりあえずテレビをつけようと思う。このまま寝てしまうと三月の国に迷い込んでしまわないとも言い切れないのだ。
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