1週間弱でTV~がーるZOO~続・劇場版まで見たもんだから整理しきれてない部分はあると思うけど、ライブ感を大事にしたい。
まず言いたいのはね、2話を乗り越えたワグナーは凄いなと。普段から他のアニメでも好きな子が曇る展開になりそうだと声を聞きたくないから早送りしてる自分にとって、1話終わりで出てきた須藤は明らかにWUGちゃんを不幸にする存在。心弱かったので話をEDまで飛ばして、見ても大丈夫なところまで巻き戻すという作業によって何とか心の均衡を保てた(Aパートは見てないけど画像つき感想サイトでチェックはしたよ)。飛ばしたと言えば4話Bパートも真夢が可哀想なので丹下社長が鉄拳制裁してくれるまで早送りしてました。
その後、5話で表面化していない不協和音(佳乃と真夢)を予告しつつI-1と島田真夢ひいてはWUGの差を見せつけられて、そして6話で早坂さんが出てきてから一気に物語に引き込まれた。
正直、5話まではふわふわしててWUGがどこに向かっているのか、どこに行きたいのか分からない状態だったから、「林田藍里は切ろうと思う」でメンバー同士で意見をぶつけ合って、9話で一つにまとまるまでの流れは本当によかった。TV版は次の話への引きが毎回キチンとしてて、えっどうなっちゃうの?って引力とストーリーの連続性があったんだけど、9話でその流れを一度収束させてる。真夢の謎を縦糸の一つにしてきたストーリーが劇場版からここまでで完結した感じ。
アイドルの祭典に向かって進んでいくラスト3話も、10話でWUGの曲のはずだった極上スマイルがI-1にも提供されていた⇒11話でアイドルの祭典本戦を前によっぴーがケガ!⇒この一瞬に悔いなし
とまあ引きが素晴らしい。
細かいこと言うと、7話の早坂さんなんでUFOキャッチャーだったの本当に藍里を切る気あったの?という謎は残った。解釈はどうとでも取れるけど、本筋には影響が無いのでまあこんなもんだろう程度にしておく。
以上、TV版は劇場版からバトンを受けて、個性も夢も目標さえバラバラな7人がWUGというグループとして結束していくストーリーだった。I-1Clubも画面に写ってはいるけど掘り下げられることもなく、住む世界が違うトップアイドルでしかない。真夢が劇中で志保の挑発を受けて「I-1の頃はもっと練習していた」なんてこぼすけど、よっぴーたちにとって「I-1は関係ないじゃん!」が正しい反応。そもそもI-1とは土俵も考えも違いすぎるんだもの。
その「違い」をテーマに持ってきたのが続・劇場版かなと。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
続・劇場版まで見て、WUGが他のアイドルアニメとの差別化に成功している特徴は3つあると感じた。
1つ目は現実との繋がりを大事にしているということ
2つ目は職業:アイドルとして活動することをメインテーマに持ってきていること
そして3つ目が、特に続・劇場版で顕著だけども、個々のアイドル哲学の相克を扱っていること
まず現実との繋がりを大事にしているという点について、キャラクターと中の人とがリンクするなんてのはアイドルアニメではもはやメインストリームになりつつあると言っても過言ではないにしても、名前を一緒にすることで没入感に訴える工夫は見事。一歩間違えるとどこへ行っても「WUGの○○さん」になりかねない危うさは秘めてるものの、キャラクターがいて声優がアイドルを演じているのか、アイドルが声優としてキャラクターに声を付けているのか分からなくなる一種の混乱状態こそ、監督が狙ったものなんだろう。
他にも、時間の経過がきちんと描かれているということ、そして舞台が現実に"ある"場所だということは特筆すべき。
2013年の夏に仙台で出会ったメンバーは高校生と中学生だった。それが1年後のアイドルの祭典を経てメジャーデビュー、翌年のアイドルの祭典で栄冠を手にする。ここまでの2年少々で未夕と夏夜は高校を卒業してるし、菜々美は光塚受験のリミットに突き当たる。サザエさん時空になるか季節感を極力廃するか、ごく短い期間を切り取ってストーリーにする作品が目につく中で、未成年の少女たちの変化を比較的長いスパンで描いたのはかなり挑戦的だった。
※ラブライブ!では3年生の卒業前にラブライブ!に出場させる作劇の都合で、出場辞退した第一回ラブライブ!から半年も経たないうちに第二回が開催されており、劇場版を含めても1年程度のストーリー。
場所については、仙台の町並みが再現されてるということだけども、これだって今は聖地巡礼という需要もあるのか、別段珍しいことじゃない。でもわざわざ3.11を取り上げることで、どうしようもなくこの日本の出来事なんだと、もっと言えばアニメという表現を使っただけの事実なのではないか、2013年の12月、仙台には実際にWUGがいたのかもしれない……と錯覚させてしまう説得力があった、というのは贔屓の引き倒しかね。
というのも、「ファンタジーじゃない」点を強調していたことがWUGを語る上でのポイントになっているからだと思う。
ここで2つ目の特徴、職業としてのアイドルを描いた作品だということに話を持っていきたい。
WUGを取り巻く世界は優しくない。残酷でも不条理でもないが、少女たちが向き合うのは夢や理想の前にまず現実だ(太田さんをはじめとしたワグナーの存在が唯一の非現実、ファンタジーだけど、これはファンだけはアイドルを裏切らない、アイドルを支える存在であるべきという監督の思いだと受け取っている)。
彼女たちは周りに用意してもらわなければ曲も作れない、踊れない、披露する場所も衣装も無いし活動資金だって無い状態。
現実には当たり前なんだけど、そこに時間を割く必要があるだろうか。
正解は、「WUGはその必要があったが、他の作品で必要かどうかは分からない」というものになると思う。
WUGは一貫して職業として、経済活動の一環としてアイドル活動をしていることから逃げていない。リリースイベントを回るために食事の時間が取れない、東京と仙台の移動で時間がかかる、大物から曲の提供を受ければ売上に繋がり、売上が落ちればプロモーション費用が減らされるしCDは手売りすることになる、下り坂ではレギュラー番組だって降ろされるし所属契約だって来られるかもしれない。
じゃあこれは他のアイドルアニメでやる必要があるのか。
プロではなく学生アイドルであるμ’sは置いておいて、例えば346プロのアイドルたちはどうか。もっと別なところ、個人の成長だとか葛藤だとか、仲間との関係の変化とか、みんなが憧れるキラキラしたアイドル像の描写とか、そういうところに時間をかけるだろう。
WUGは主人公である真夢が成長する物語ではない。どころか、いわゆるお当番回で各アイドルの性格を掘り下げることもあまりしなかった。ストーリーの中で見せ場はあった(逃げ出した未夕の迷い、藍里離脱に絡んだ佳乃の慟哭や気仙沼合宿で見せた夏夜の決意など)けど、1話完結で見られる話はせいぜい3話の実波くらい。見せたいのがストーリーなのかキャラクターなのかなんて単純な二者択一ではないけど、個人的にはストーリーありきという印象を持った。
アイドルアニメって、企画やゲームのアニメ化だと自然、キャラクターメインの作品作りになると思うんですね。このキャラクターの魅力をどう映像化するのか、どんなお話を紡いでいくのかというプライオリティではないだろうか。
「WUG」は少女たちが困難に立ち向かい、アイドル戦国時代を駆け抜ける(ハァビバノンノン)ストーリーで、極論すればWUGの7人が主人公である必要はないとさえ思ってる。I-1にもネクストストームにもドラマがあるはずで、なまはげーずなんてどこをどう間違ってあのスタイルにたどり着いたのか、それだけでスピンオフが作れそうなレベルだ。
たまたまカメラが回っていた対象がWUGだっただけで、ひょっとしたら志保が主人公でI-1から追われ博多で再起を図り、最終回ではアイドルの祭典で「この一瞬に悔いなし」になっていた可能性だってあったんじゃないか。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
そんなストーリーを盛り上げているのが、「WUG」がまさにアイドルをめぐる群像劇だということ。登場人物は自分のアイドル哲学に従って行動している。
まず、I-1のゼネラルマネージャーである白木さんは名言メーカーだった。
「君たちが恋をして良い相手はファンの皆様だけなんだよ。それ以外に恋愛を匂わせたらその瞬間、アイドルではなくなるんだ」
「不況?I-1Clubがそんな世俗の波に飲まれても構わないというのかね?現実にぶつかり夢を見失ってしまった現代の日本人が代わりに自分の夢を託す。そんな唯一無二の存在がI-1Clubではなかったのかね?I-1の不振とはすなわち日本が希望を失うとき。その深刻さをここに居る誰もが受け止めるべきです」
白木さんは本当に理想のアイドルを追い求めてる純粋な男なんだなというのが態度や言葉の端々から伝わってくる。TVの演出だと冷酷で人を人とも思わない嫌な奴という描かれ方をしてたけど、自分が普段から白木さんよりの考えなので悪い印象は持てなかった。続・劇場版で真夢に続いて志保をも手放したことを早坂さんに指摘されてるけど、真夢のときは理念から外れたアイドルを切り捨てたのに対し、志保には復活の機会を与えた……もっと言えば、真夢がWUGを率いてI-1に迫ってきたのを見て、志保にもネクストストームで日本のアイドル界を盛り上げてほしいという期待をしたことは、「ここ(博多)で新しい波を作れ」という志保への激励の言葉にあらわれている。
志保はI-1の良さを「切磋琢磨していくところ」と評した。高校野球でもいつも同じチームが県代表に選ばれるような県は強さが持続しない。競い合い高め合うライバルが必要になる。アイドルの祭典のレギュレーションを変更したのも、CD売上がミリオンを割り込んだところでI-1にもっと成長して欲しいという思いがあったのだと思う(売上だけ考えればI-1が圧倒的な王者であることは揺るぎない)。
早坂さんはより分かりやすく「おイモちゃん」だったWUGに興味を抱き、都会で通り一遍の"アイドルらしさ"を身に着けようとしていた彼女たちを苦々しく思っていた。I-1のパフォーマンスを認めるものの「ワクワクはしない」と言い切る早坂さんのスタンスは作中で別に肯定的に扱われているわけではない(WUG的には早坂さんのバックアップを得られたのがラッキーだったけど)。芸人に媚を売るアイドル、カメラ目線でバッチリ決めた笑顔を見せるアイドルだって間違ってないはずで(白木さんとしてはこれが正解だろう)、単に意識の違いでしかない。
志保は政治的判断で島田真夢からセンターを譲られたと思っていて、いわば「自分に勝ち逃げ」した真夢に執着している。「センターは誰にも渡さない!」という価値観で動いていて、博多でネクストストームに出会ったあとも真夢と対等な立場で争えることに喜びを覚えている。ネクストストームのリトル・チャレンジャーに触れて初期I-1時代の自分を振り返る機会を得はしたものの、じゃあ楽しくアイドルできればそれでいいのか、という問にはNo.と答えるのが志保だろう。彼女にとってアイドルは自分を表現できる場所、力を示し続けるべき場所だったのかもしれない。ここから先は本編に描写が無い、単なる妄想になるので立ち入れないけど。
萌歌だって「次のセンターは自分」という自負から、実際にセンターを引き継いだあとに周りから心配されるほど気負っている。描写が少ないだけで、萌歌なりの矜持を持って日本一のアイドルグループのセンターを務めており、志保たちには負けたくない!という思いがある。
ではWUGはどうか。
「WUGらしさってなんだろうね?」というTVシリーズで一度取り上げて有耶無耶になったテーマが青春の影ラストでもう一度返ってくる。
BTBでも、
「私たちじゃなきゃ駄目って曲が歌いたい」という真夢に「アイドルは同じように見られがち」だと賛同する佳乃、「それでいいんじゃないですか?可愛い衣装を来て可愛い笑顔で可愛い歌を歌えれば」と答える未夕。「真摯であること、正直であること、一生懸命であること」がWUGらしさなんじゃないだろうかと語る藍里とスタンスはみんなバラバラだ(個人的に藍里の回答をWUGらしさと総括するには、プロの職業人として当たり前のこと過ぎてちょっとという思いもあるが、早坂さんなんかはプロになりきれないところを好いている傾向がある)。
最終的にアイドルの祭典で「私たちらしさをここで見つけよう!」と舞台に飛び出していくWUGは自分たちらしさを見つけられたんだろうか。劇中で答えが示されてない以上、WUGらしさはWUG自身だけじゃなくWUGを観るファンひとりひとりも考えるべきものなのかも知れないと思った。
個人的には、政治ポリシーじゃないんだもの、100%のWUGらしさというものが存在してそれを外れたらアウトってんじゃ一歩も先へ進めないと思う。スタッフを大幅に変えて新章がスタートする、舞台公演を行う、2作続けてアニメタイアップ曲をリリースする、プロジェクトに新メンバーが加入する……どれも今までのWUGではないものだ。挑戦し続けることで誰にも「WUGらしさ」が解らないことこそ「らしさ」なんじゃないかと思ったけど、まあまだ外野の意見だ。これから時間をかけてワグナーになれたらまた考えが変わるかもしれない。それも含めて、考える余地のある作品はいいものだと思いますよ。面白い作品と出会わせてくれた偶然に、「いつも感謝!」。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
ダンスシーンは全体的によかったんですが、
特にタチアガレ!の
「酷く傷ついて」で後ろ向きに静止したときの真夢の髪の動き、「すぐ背を向けた」の実波の肩から手の動き、「どんなごまかしも効かない」の実波の目の動き、「諦めず行くしかないと」の菜々美たちの腕とステップは本当に凄いなコレって感じ。今まで見た深夜アニメのダンスシーンの中ではトップクラスの衝撃。脱帽です。
ZOOについて書くタイミングがなくなったけど、ショートアニメとしてはかなり面白くて好き。脚本がやりたい放題やってるし、EDが毎回凝ってて面白かった。鰐と鮫はいつまで背景で浮いてんだよ!とか。真夢の性格がやたら黒くなってるのは面白いし、よっぴーが基本振り回されっぱなしなのも可愛い。基本どんなぶん投げオチでもワグ・ズーズーがかかれば解決って割り切り方もいいね。この路線、いつかまたやってほしいなあ。
推しは、キャラクターとしては未夕を。声も容姿も可愛いし、WOO YEAH!好きだし。ただある程度は消去法的な決め方なのでフラフラするかもしれません。カップリングは未夕×夏夜で、こっちは鉄板でしょう。
中の人はななみんが可愛いと思います。というか可愛く見える笑顔を作り慣れてる。見られることに照れが無い。でも、ななみんを推せるかというと……。美佑は脚が長いしかやたんは重いけどちっちゃくて声も可愛いしみにゃみは男らしい笑い方が好きだし。
これからわぐばん!観るので、全12回の後で結論を出しましょうか。出なかったらこれから参加するであろうイベント、ライブで考えましょう。
まず言いたいのはね、2話を乗り越えたワグナーは凄いなと。普段から他のアニメでも好きな子が曇る展開になりそうだと声を聞きたくないから早送りしてる自分にとって、1話終わりで出てきた須藤は明らかにWUGちゃんを不幸にする存在。心弱かったので話をEDまで飛ばして、見ても大丈夫なところまで巻き戻すという作業によって何とか心の均衡を保てた(Aパートは見てないけど画像つき感想サイトでチェックはしたよ)。飛ばしたと言えば4話Bパートも真夢が可哀想なので丹下社長が鉄拳制裁してくれるまで早送りしてました。
その後、5話で表面化していない不協和音(佳乃と真夢)を予告しつつI-1と島田真夢ひいてはWUGの差を見せつけられて、そして6話で早坂さんが出てきてから一気に物語に引き込まれた。
正直、5話まではふわふわしててWUGがどこに向かっているのか、どこに行きたいのか分からない状態だったから、「林田藍里は切ろうと思う」でメンバー同士で意見をぶつけ合って、9話で一つにまとまるまでの流れは本当によかった。TV版は次の話への引きが毎回キチンとしてて、えっどうなっちゃうの?って引力とストーリーの連続性があったんだけど、9話でその流れを一度収束させてる。真夢の謎を縦糸の一つにしてきたストーリーが劇場版からここまでで完結した感じ。
アイドルの祭典に向かって進んでいくラスト3話も、10話でWUGの曲のはずだった極上スマイルがI-1にも提供されていた⇒11話でアイドルの祭典本戦を前によっぴーがケガ!⇒この一瞬に悔いなし
とまあ引きが素晴らしい。
細かいこと言うと、7話の早坂さんなんでUFOキャッチャーだったの本当に藍里を切る気あったの?という謎は残った。解釈はどうとでも取れるけど、本筋には影響が無いのでまあこんなもんだろう程度にしておく。
以上、TV版は劇場版からバトンを受けて、個性も夢も目標さえバラバラな7人がWUGというグループとして結束していくストーリーだった。I-1Clubも画面に写ってはいるけど掘り下げられることもなく、住む世界が違うトップアイドルでしかない。真夢が劇中で志保の挑発を受けて「I-1の頃はもっと練習していた」なんてこぼすけど、よっぴーたちにとって「I-1は関係ないじゃん!」が正しい反応。そもそもI-1とは土俵も考えも違いすぎるんだもの。
その「違い」をテーマに持ってきたのが続・劇場版かなと。
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続・劇場版まで見て、WUGが他のアイドルアニメとの差別化に成功している特徴は3つあると感じた。
1つ目は現実との繋がりを大事にしているということ
2つ目は職業:アイドルとして活動することをメインテーマに持ってきていること
そして3つ目が、特に続・劇場版で顕著だけども、個々のアイドル哲学の相克を扱っていること
まず現実との繋がりを大事にしているという点について、キャラクターと中の人とがリンクするなんてのはアイドルアニメではもはやメインストリームになりつつあると言っても過言ではないにしても、名前を一緒にすることで没入感に訴える工夫は見事。一歩間違えるとどこへ行っても「WUGの○○さん」になりかねない危うさは秘めてるものの、キャラクターがいて声優がアイドルを演じているのか、アイドルが声優としてキャラクターに声を付けているのか分からなくなる一種の混乱状態こそ、監督が狙ったものなんだろう。
他にも、時間の経過がきちんと描かれているということ、そして舞台が現実に"ある"場所だということは特筆すべき。
2013年の夏に仙台で出会ったメンバーは高校生と中学生だった。それが1年後のアイドルの祭典を経てメジャーデビュー、翌年のアイドルの祭典で栄冠を手にする。ここまでの2年少々で未夕と夏夜は高校を卒業してるし、菜々美は光塚受験のリミットに突き当たる。サザエさん時空になるか季節感を極力廃するか、ごく短い期間を切り取ってストーリーにする作品が目につく中で、未成年の少女たちの変化を比較的長いスパンで描いたのはかなり挑戦的だった。
※ラブライブ!では3年生の卒業前にラブライブ!に出場させる作劇の都合で、出場辞退した第一回ラブライブ!から半年も経たないうちに第二回が開催されており、劇場版を含めても1年程度のストーリー。
場所については、仙台の町並みが再現されてるということだけども、これだって今は聖地巡礼という需要もあるのか、別段珍しいことじゃない。でもわざわざ3.11を取り上げることで、どうしようもなくこの日本の出来事なんだと、もっと言えばアニメという表現を使っただけの事実なのではないか、2013年の12月、仙台には実際にWUGがいたのかもしれない……と錯覚させてしまう説得力があった、というのは贔屓の引き倒しかね。
というのも、「ファンタジーじゃない」点を強調していたことがWUGを語る上でのポイントになっているからだと思う。
ここで2つ目の特徴、職業としてのアイドルを描いた作品だということに話を持っていきたい。
WUGを取り巻く世界は優しくない。残酷でも不条理でもないが、少女たちが向き合うのは夢や理想の前にまず現実だ(太田さんをはじめとしたワグナーの存在が唯一の非現実、ファンタジーだけど、これはファンだけはアイドルを裏切らない、アイドルを支える存在であるべきという監督の思いだと受け取っている)。
彼女たちは周りに用意してもらわなければ曲も作れない、踊れない、披露する場所も衣装も無いし活動資金だって無い状態。
現実には当たり前なんだけど、そこに時間を割く必要があるだろうか。
正解は、「WUGはその必要があったが、他の作品で必要かどうかは分からない」というものになると思う。
WUGは一貫して職業として、経済活動の一環としてアイドル活動をしていることから逃げていない。リリースイベントを回るために食事の時間が取れない、東京と仙台の移動で時間がかかる、大物から曲の提供を受ければ売上に繋がり、売上が落ちればプロモーション費用が減らされるしCDは手売りすることになる、下り坂ではレギュラー番組だって降ろされるし所属契約だって来られるかもしれない。
じゃあこれは他のアイドルアニメでやる必要があるのか。
プロではなく学生アイドルであるμ’sは置いておいて、例えば346プロのアイドルたちはどうか。もっと別なところ、個人の成長だとか葛藤だとか、仲間との関係の変化とか、みんなが憧れるキラキラしたアイドル像の描写とか、そういうところに時間をかけるだろう。
WUGは主人公である真夢が成長する物語ではない。どころか、いわゆるお当番回で各アイドルの性格を掘り下げることもあまりしなかった。ストーリーの中で見せ場はあった(逃げ出した未夕の迷い、藍里離脱に絡んだ佳乃の慟哭や気仙沼合宿で見せた夏夜の決意など)けど、1話完結で見られる話はせいぜい3話の実波くらい。見せたいのがストーリーなのかキャラクターなのかなんて単純な二者択一ではないけど、個人的にはストーリーありきという印象を持った。
アイドルアニメって、企画やゲームのアニメ化だと自然、キャラクターメインの作品作りになると思うんですね。このキャラクターの魅力をどう映像化するのか、どんなお話を紡いでいくのかというプライオリティではないだろうか。
「WUG」は少女たちが困難に立ち向かい、アイドル戦国時代を駆け抜ける(ハァビバノンノン)ストーリーで、極論すればWUGの7人が主人公である必要はないとさえ思ってる。I-1にもネクストストームにもドラマがあるはずで、なまはげーずなんてどこをどう間違ってあのスタイルにたどり着いたのか、それだけでスピンオフが作れそうなレベルだ。
たまたまカメラが回っていた対象がWUGだっただけで、ひょっとしたら志保が主人公でI-1から追われ博多で再起を図り、最終回ではアイドルの祭典で「この一瞬に悔いなし」になっていた可能性だってあったんじゃないか。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
そんなストーリーを盛り上げているのが、「WUG」がまさにアイドルをめぐる群像劇だということ。登場人物は自分のアイドル哲学に従って行動している。
まず、I-1のゼネラルマネージャーである白木さんは名言メーカーだった。
「君たちが恋をして良い相手はファンの皆様だけなんだよ。それ以外に恋愛を匂わせたらその瞬間、アイドルではなくなるんだ」
「不況?I-1Clubがそんな世俗の波に飲まれても構わないというのかね?現実にぶつかり夢を見失ってしまった現代の日本人が代わりに自分の夢を託す。そんな唯一無二の存在がI-1Clubではなかったのかね?I-1の不振とはすなわち日本が希望を失うとき。その深刻さをここに居る誰もが受け止めるべきです」
白木さんは本当に理想のアイドルを追い求めてる純粋な男なんだなというのが態度や言葉の端々から伝わってくる。TVの演出だと冷酷で人を人とも思わない嫌な奴という描かれ方をしてたけど、自分が普段から白木さんよりの考えなので悪い印象は持てなかった。続・劇場版で真夢に続いて志保をも手放したことを早坂さんに指摘されてるけど、真夢のときは理念から外れたアイドルを切り捨てたのに対し、志保には復活の機会を与えた……もっと言えば、真夢がWUGを率いてI-1に迫ってきたのを見て、志保にもネクストストームで日本のアイドル界を盛り上げてほしいという期待をしたことは、「ここ(博多)で新しい波を作れ」という志保への激励の言葉にあらわれている。
志保はI-1の良さを「切磋琢磨していくところ」と評した。高校野球でもいつも同じチームが県代表に選ばれるような県は強さが持続しない。競い合い高め合うライバルが必要になる。アイドルの祭典のレギュレーションを変更したのも、CD売上がミリオンを割り込んだところでI-1にもっと成長して欲しいという思いがあったのだと思う(売上だけ考えればI-1が圧倒的な王者であることは揺るぎない)。
早坂さんはより分かりやすく「おイモちゃん」だったWUGに興味を抱き、都会で通り一遍の"アイドルらしさ"を身に着けようとしていた彼女たちを苦々しく思っていた。I-1のパフォーマンスを認めるものの「ワクワクはしない」と言い切る早坂さんのスタンスは作中で別に肯定的に扱われているわけではない(WUG的には早坂さんのバックアップを得られたのがラッキーだったけど)。芸人に媚を売るアイドル、カメラ目線でバッチリ決めた笑顔を見せるアイドルだって間違ってないはずで(白木さんとしてはこれが正解だろう)、単に意識の違いでしかない。
志保は政治的判断で島田真夢からセンターを譲られたと思っていて、いわば「自分に勝ち逃げ」した真夢に執着している。「センターは誰にも渡さない!」という価値観で動いていて、博多でネクストストームに出会ったあとも真夢と対等な立場で争えることに喜びを覚えている。ネクストストームのリトル・チャレンジャーに触れて初期I-1時代の自分を振り返る機会を得はしたものの、じゃあ楽しくアイドルできればそれでいいのか、という問にはNo.と答えるのが志保だろう。彼女にとってアイドルは自分を表現できる場所、力を示し続けるべき場所だったのかもしれない。ここから先は本編に描写が無い、単なる妄想になるので立ち入れないけど。
萌歌だって「次のセンターは自分」という自負から、実際にセンターを引き継いだあとに周りから心配されるほど気負っている。描写が少ないだけで、萌歌なりの矜持を持って日本一のアイドルグループのセンターを務めており、志保たちには負けたくない!という思いがある。
ではWUGはどうか。
「WUGらしさってなんだろうね?」というTVシリーズで一度取り上げて有耶無耶になったテーマが青春の影ラストでもう一度返ってくる。
BTBでも、
「私たちじゃなきゃ駄目って曲が歌いたい」という真夢に「アイドルは同じように見られがち」だと賛同する佳乃、「それでいいんじゃないですか?可愛い衣装を来て可愛い笑顔で可愛い歌を歌えれば」と答える未夕。「真摯であること、正直であること、一生懸命であること」がWUGらしさなんじゃないだろうかと語る藍里とスタンスはみんなバラバラだ(個人的に藍里の回答をWUGらしさと総括するには、プロの職業人として当たり前のこと過ぎてちょっとという思いもあるが、早坂さんなんかはプロになりきれないところを好いている傾向がある)。
最終的にアイドルの祭典で「私たちらしさをここで見つけよう!」と舞台に飛び出していくWUGは自分たちらしさを見つけられたんだろうか。劇中で答えが示されてない以上、WUGらしさはWUG自身だけじゃなくWUGを観るファンひとりひとりも考えるべきものなのかも知れないと思った。
個人的には、政治ポリシーじゃないんだもの、100%のWUGらしさというものが存在してそれを外れたらアウトってんじゃ一歩も先へ進めないと思う。スタッフを大幅に変えて新章がスタートする、舞台公演を行う、2作続けてアニメタイアップ曲をリリースする、プロジェクトに新メンバーが加入する……どれも今までのWUGではないものだ。挑戦し続けることで誰にも「WUGらしさ」が解らないことこそ「らしさ」なんじゃないかと思ったけど、まあまだ外野の意見だ。これから時間をかけてワグナーになれたらまた考えが変わるかもしれない。それも含めて、考える余地のある作品はいいものだと思いますよ。面白い作品と出会わせてくれた偶然に、「いつも感謝!」。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
ダンスシーンは全体的によかったんですが、
特にタチアガレ!の
「酷く傷ついて」で後ろ向きに静止したときの真夢の髪の動き、「すぐ背を向けた」の実波の肩から手の動き、「どんなごまかしも効かない」の実波の目の動き、「諦めず行くしかないと」の菜々美たちの腕とステップは本当に凄いなコレって感じ。今まで見た深夜アニメのダンスシーンの中ではトップクラスの衝撃。脱帽です。
ZOOについて書くタイミングがなくなったけど、ショートアニメとしてはかなり面白くて好き。脚本がやりたい放題やってるし、EDが毎回凝ってて面白かった。鰐と鮫はいつまで背景で浮いてんだよ!とか。真夢の性格がやたら黒くなってるのは面白いし、よっぴーが基本振り回されっぱなしなのも可愛い。基本どんなぶん投げオチでもワグ・ズーズーがかかれば解決って割り切り方もいいね。この路線、いつかまたやってほしいなあ。
推しは、キャラクターとしては未夕を。声も容姿も可愛いし、WOO YEAH!好きだし。ただある程度は消去法的な決め方なのでフラフラするかもしれません。カップリングは未夕×夏夜で、こっちは鉄板でしょう。
中の人はななみんが可愛いと思います。というか可愛く見える笑顔を作り慣れてる。見られることに照れが無い。でも、ななみんを推せるかというと……。美佑は脚が長いしかやたんは重いけどちっちゃくて声も可愛いしみにゃみは男らしい笑い方が好きだし。
これからわぐばん!観るので、全12回の後で結論を出しましょうか。出なかったらこれから参加するであろうイベント、ライブで考えましょう。
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