説教臭い語りだなと思ったら坊さんだった。

◯あれが欲しい、これが欲しい、他人が羨ましい、自分は駄目だという思いはすべて妄想。その原因は物事を対立構造で捉えてしまうこと。「美・醜」「勝・負」「損・得」……どちらかが優れていてどちらかは忌避すべきものとしている。しかし比較に意味があるのか。
道元禅師は「他は是れ吾にあらず」という言葉を残している。どんな人も他とは比べようのない「絶対」の存在としている。

重箱の隅だけど仏教の教えって「諸法無我」を旨としてるんじゃないの。諸行無常で塞翁が馬だから、時々の状態に拘って一喜一憂するのがアホらしい、ってのは分かるけど、「絶対の存在」というのは違和感があるな。「他人なんてフワフワしたものと比べても意味が無い」ってんなら腑に落ちる。


◯情報の”暴飲暴食”はやめる。どんなにたくさん情報を集めても、自分の「したいこと」も「生き方」も見つからない。これらは自分と向き合って自分の内に見出す他ないから。むしろ情報は”迷い”の元になる。情報がありすぎるから心の置き場所が分からなくなって身動きがとれない、外部の情報と自分を比べて不安になる。今の仕事でいいのか結婚しなくていいのかという迷いが昔の人には無かった。臨済義玄禅師も「随処に主となれば、立処みな真なり」(どこであっても「いま」「そこで」出来ることに打ち込んでいれば自分が人生の主役になれる)と言っている。

人口6,000人の町から出たことがなかった小学生の時は楽しかったけど、中学になって隣の市まで出かけたらコンビニがあったりデパートがあったりして、自分が惨めになった。高校に入って東京を知ると、山手線が走っていない地方に住んでいる自分が恥ずかしくなった。仏教的には本当に駄目な人生観だ。情報の”暴飲暴食”という表現は面白いから覚えておこう。


◯瞑想とは、無心でいることとは何も考えないことではない。浮かんでくる様々をそのままにしておくこと。どんな高僧でも煩悩は浮かんでくる。その時の不安、心配、怒り、感情を浮かぶに任せて放っておくとそのうち消える。「動かされないぞ」「気にしないぞ」と構える必要はない。「昼間のあの客、嫌なヤツだったな!」と思っても、「明日の課題どうしよう」と思っても、そのままにしておく。すると自分を外側から見ている自分にいつか気づくだろう。それが瞑想だ。


◯どんな仕事も「おかげさま」で成り立っている。自分がまとめた契約でも、サポートしてくれる人が居たはず。客先からの電話取次ぎ、お茶くみ、雑事など、多くの人の支えがあってあなたがいる。

自分が滞りなく仕事できるのは部下が頑張ってくれるから――と思えればいいんだがね、期待した成果を残せない部下を見てるともっと頑張れよ俺が若い頃は休日も出勤して勉強したもんだぞ、それくらいの根性が無いからお前は駄目なんだと言いたくなる。子供の頃にドラマで見た嫌味上司の典型的なパターンに、まさが自分が陥るとは。


◯逆境に置かれたとき、どんなに悔やんでも愚痴っても環境が好転することは無い。地方に左遷されたとしてもそこで幅広い人脈を作れるかもしれない。意に反して経理を任されてもコスト意識が身につくかもしれない。松下幸之助も「逆境もよし、順境もよし、要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである」と残している。

一休さんも「人生なんてもんは生まれてから死ぬまでの一休みなんだから、雨が降ってもそのままに、風が吹いてもそのままに」って言ってたね。ちょっと意味が違うけど。あるいは渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」か。


◯十人十色で価値観は人それぞれ。あなたは仕事に一生懸命かもしれないけど、マイホーム課長は家庭が大事かもしれない。部下は仕事終わりのカフェが大事かもしれない。上司や部下への不平不満の根っこに自分の人生観の押しつけがないか。お互いの人生観・得手や不得手を認めることが大事。

耳が痛い。諸行無常の考え方からすれば今はプロとして仕事第一、現場第一だと考えてる自分も、管理部門に行けばコスト優先になるかもしれないし、子供ができれば定時でサッと帰るかもしれない。細かい計算を何回もやるようになるかもしれない。全く知らない部門に行けば役立たず扱いされるかもしれない(馬鹿にされれば奮起してその分野に長ずる自信はあるが)。そう考えると細かいことに拘る部下、杓子定規なことを言って相手を怒らせる部下のことも少しは……その域にはまだまだ達せそうにない。


◯禅には「調身・調息・調心」という言葉がある。姿勢を整え、呼吸を整えれば心が整うという三位一体を表す言葉だ。頭にカッと血が登ったらまずは背筋を伸ばして丹田に力を入れ、息を吐ききってみること(腹式呼吸)。すると肩の力が自然と抜けて怒りも収まっているだろう。板橋興宗禅師は「怒りの感情は頭に上げるな」と言っていた。腹に収めておけば要らんことを言わなくて済むと。それに加えて心の中で「ありがとさん、ありがとさん、ありがとさん」と3回唱えることで穏やかな気持になる、と。みなさんも自分なりの「呪文」を持ってみてはいかが?

腹が立ったら10数えよ、は実践したいけど実際には「ここで手を出したらチンピラっぽくてカッコいいな、よしやるか!」で脚が出ちゃうからなあ。立場的にそろそろ治さないといけないんだけど。


◯「少欲知足」という言葉がある。「足るを知る人は地べたに寝ていても安楽だが、足るを知らぬ人は宮殿に住んでもなお満足を感じない。どれだけ裕福であっても心はいかにも貧しい」という意味だ。実際、「これで十分だ、ありがたい」と思って生きれば心は満たされる。もっともっと、さらにさらにと思っているうちはどれだけ贅を尽くそうとも心が渇く一方だろう。日本にも「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」という言葉がある。どれだけ偉くなっても一度に食べられるのはせいぜい二合半に過ぎないというものだ。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★
最近は仏教にハマってるから色々読んでるけど、仏陀はマジ良いこと言うじゃん!って素直に思えるものの、禅になると急に説教っぽく聞こえて、浄土宗・浄土真宗あたりになるとそうか何言ってんだお前になる。今度は図書館で「超訳 仏陀の言葉」を借りてこようかしら。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索