土曜日に現場帰りのアイドルオタクの某氏と飲んだときに、自分が彼を接触厨(アイドルと接触することを主目的としたオタク……でいいんだろう、多分)扱いしたような印象を与えてしまった事に関する弁明と、なぜ自分はアイドルに触れたがらないのかに関する考察をしよう。

まず前提として、個人レベルに於いてあらゆる価値観に上下正誤の区別は無いということははっきりさせておきたい。在るのは「自分はこれが好き、あれが嫌い」という考え方の癖(偏見、と露悪的に言い換えてもいい)だけであって、本人が満足・納得していればそれで十分な類のもの。しかも価値観とは他者に迷惑をかけない限り並立・共存が推奨されるべきものであって、多様性とは説得によってより多くの承認を得ることではなく、他の価値観を受容・傍観すべきことであると考える。

要するに「その考え方いいね!分かるよ!」ではなく相手の考えに耳を傾けたうえで、「あっそう」と受け流すこと、否定も肯定も無くただ「在る」ことを尊重することこそが異文化コミュニケーションだと思うのです。

自分の偏見を垂れ流すためにサッと予防線を張ろうと思ったらいやに硬くなったな。

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握手会(参加したこと無いけど)やお渡し会が苦手だ。
まず単純に伝えたいことがない。あったとしても後述の理由から伝えたくない。そして同じく後述する理由からアイドルに触れたくない。この場合、相手が職業:アイドルであるかどうかは関係なく、自分がアイドルと捉えているどうかがすべてなので、極論すると身内でも自分のアイドルになってしまうこと明記しておく。声優だって祀ってる側がアイドル扱いすればアイドルだよ。

話が逸れたけど、積極的にアイドルに関わろうとする人を見ると純粋に凄いなと思ってしまうし、そういう人たちは瞳が活きてるから、傍にいるだけで自分まで楽しくなる。

おそらく、アイドルに関わるタイプのオタクは、アイドルの存在を積極的に肯定することで自分が肯定される、照らすことで照らされる、ヘルムホルツもびっくりな永久機関にも似た円環を自分とアイドルで作り上げてるんじゃないだろうか。もちろんカネと時間が続く限りだから厳密には永久機関になりえないんだけど。

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じゃあ自分もアイドルに会いに行けば輝けるのかというと、そうは問屋が卸さない。
自分にとってアイドルとは、何も受け取らず、何にも惑わず、塵となって消える瞬間まで自身を燃焼させて熱と光を発する恒星のような存在。

だからかける言葉が無いし、かけられない。仮に自分が「◯◯をしてほしくない」と伝えたことがきっかけで◯◯が無くなったら……自分一人なら自意識過剰な笑い話だけど、多数の人が同じことを伝えたら影響力が生まれてしまうのではないかという不安がある。何より怖いのはその人をファンに影響される程度の存在に引きずり下ろしてしまうこと。ひいてはアイドルの在り方にファンも責任を負ってしまうことだ。
「みなさんの要望に答えて◯◯はやめました」
というのは、ファンと一緒に作り上げるアイドルという価値観からは歓迎されるものかも知れないけれど、アイドルとファンに線を引きたい立場からして愉快なものではないのも分かってもらえると思う。

一方で、自分の言葉がアイドルに影響を与えないのに声をかける、それもまた悲しい。それは祈りが天に通じると信じて雨乞いをしているようなもので、雨が降るかどうかは天体や大気の条件に依存しているのに、日照りが続けば信心が足りなかったと自責し、雨が降れば天に感謝するようになってしまう。
これ、祈ってる本人は自分と天の間に繋がりを感じられて非常に気持ちいいんだけど、外野から見ると間抜けに見えるんじゃないかという危惧がある。まあ外野には好きなことを言わせておけ、っちゃあその通りなんだけど。

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より深刻なのが、捻くれた自分の女性観。男女間に対等な関係はありえないと、30年以上培ってきた偏見(=価値観)が訴えてくる。
なぜなら種が違うから。

仕事で女性に接していると、男性との考え方の違いに愕然とすることばかりだし、畢竟、体の作りが違うのだから同質の存在ではありえない。男性同士はまさに男性同士であることが担保されているから、その基礎の上に友情なり信頼関係を築けるけども、女性相手にそうはいかない。
とっくに手垢が付きまくった利己的遺伝子論ではあるんだけど、男女の関係、辿り着き得る目標は突き詰めていくと生殖・繁殖行為になってしまう。

だから話しかけることや握手を含むスキンシップはそれに至るマイルストーン、あるいは代償行為でしかないという考えが根付いてるんですね。お前の頭ン中スケベで一杯かよ、とか気持ち悪いわ、という非難はまあ否定できないんだけど、アイドルを触れられざる存在、崇高な存在とする限り、一切の接触は絶たねばならない。

握手をしてしまえばその行為がアイドルと自分を結びつけてしまい、アイドルと自分の関係性のどこに位置するものなのかを定義しなければならない。握手は握手だけで存在することができるのか。握手以上の行為に至る足掛かりなのか、あるいはその先へ進むことができないから握手に甘んじているのか。

好きなアイドルが女性であることを意識して落ち込んでしまうのはこれが原因。女性の持つ男性にはない美しさに見惚れることはあるし、アイドルはまさにそのエイドスを研ぎ澄ましているのに、伝えることはできない。伝えることで自分にとって絶対的な「アイドル」を「外部から影響を受けるかもしれない存在」にしてしまうことが怖い。触れることで「アイドル」を「女性」という雌雄の区別に貶めてしまうことが怖い。

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ちなみに、上田麗奈は自分が考えるアイドル像にかなり近い。
あの子、ラジオのメールに対してレスポンスを与えないんだわ。常連に対しても「いつもありがとう」なんて言葉はかけないし、何かを聞かれてもはぐらかすことが多い。ツイッターも自分の言葉では決して語らず、スタッフが告知するのみ。接近戦イベントも最近はやらないし(忙しくてそれどころじゃないか)、「推し」やら「最近感動したこと」なんかが番組で話題になっても「あまり意識しない」とバッサリ。
この浮世離れしたところがうえしゃまの良さだよ。

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拗らせまくった高校生が書いた文章みたいだ。深夜のテンションを言い訳にするとしても反省が必要だわ。消さないけど。

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