「タタール人の砂漠」を読んだよ
2021年3月12日 日常初めて「ぼくらの七日間戦争」を読んだときに感じたのと同じくらいのインパクトがあった。80年以上前に書かれて今まで読み継がれてる小説に対して「面白かったよ!」ってスタンスもどうなんだと思いつつ、世間はともかく自分にとってはこれがファーストコンタクトだから恥ずべきところはまだないなと、と開き直る。得意になって「おや君、まだこの名作をお読みでない。ははぁ」だとか、「面白いから!絶対読んだほうがいいって!」とか言いはじめたら吊られよう。
今更ネタバレも何もないんだけど、希望を胸に青年誌感が赴いた初めての任地は時が止まったような辺境の砦。中央から半ば用済み扱いされている砦の、退屈で冴えない日々の中で「いつか地平線の向こうから敵が攻めてきたらみんなが自分を見返す。何もない日々は報われ、自分が主役になる時が来る」という夢想を抱いたまま生きる主人公。
基本的に何も起こらないのにぐいぐい話に引き込まれるし、特に時間経過の表現が秀逸で、後半の章では思い切った構成に思わず「えっ」と声が出そうになった。物語の核心部分なので秘密に。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
なんでこんな夢中になれたかというと、そこら中の書評で擦られてるけど主人公の生き様がフィクションとは思えないほどの実感を伴って迫ってくるからなのね。
最初はすぐにでも出ていってやると誓った古臭い砦、4ヶ月後には出られるように取り計らうからと宥めすかす上司、慣れてしまって「このままでもいいか」と思ってしまうこと、地味で報われぬ生活が育てる「いつか自分にも……」という願望、閉鎖された環境に慣れすぎて世間一般の付き合いが苦痛になっていき、青春を無為に浪費したからにはせめて甲斐があるべきだとますますか細い希望に縋る……。
本当に1940年の小説?ってくらい、2021年を生きる自分を刺してきた。
上で触れたこと以外にも、いつまでも若いつもりだけどいつの間にか若者の遊びをしなくなったとか、若い子に年長者として気を使われたことで世代が変わったことに気づいて愕然とするとか、閉じた環境で認知が歪んでしまい何気ない事象に意味を見出して一人で熱くなるとか、読んでて辛いんだけど先が気になって仕方ない(基本的に何も起きないけど)。
退官目前の上官が、50歳も見えてきた主人公に「君はまだ若いからきっといいことがあるさ(でも自分には何もなかったから君にもなにも起きないでほしい)」って一切の悪意なく慰めの言葉をかける場面なんかはもう絶句。この上官、「自分は身の丈にあった小さな幸せで満足する術を身につけたから……」って普段は枯れた振りしてるんだけど、結局諦めきれなかったんだなあって悲しくなった。四法印を説いたお釈迦様も死に臨んで穏やかだったわけじゃなく「水が飲みたい」って言い続けたそうだから、達観できることなんて無いんだねえ。
この辺は福本伸行の「天」16~18巻のアカギ葬式編で「死ぬが怖くないって言ってもどうしても3か4は恐怖が混ざっちゃうし、そもそも死ぬのは無念だけどそれも含めて人生だわ」っていう割り切らなさがかっこいいね。
真面目にコツコツ生きてればそのうち良いことあるさと、節制に努めてるつもりだけど、このままでいいやと動けなくなる前に、欲しい物を言葉にできるうちに望んで動いたほうが良いんだろうね。
4週間前の飲み会で、
「俺はもう声優とかどうでもいいから」
って余裕の表情でいたら、
「ああmarioさんはうえしゃまを諦めたんですね」
って言われたことが抜けない棘になっている。真のファンなら推し声優のために一切の手段を選ばない筈ですよね?でもあなたは我が身可愛さに興味を無くしたふりをしてるんですよね?って痛いところを突かれたようで。自分の欲しいものはなんなのか。目の前に神龍が現れたとして、願いが即座に浮かぶだろうか。
今更ネタバレも何もないんだけど、希望を胸に青年誌感が赴いた初めての任地は時が止まったような辺境の砦。中央から半ば用済み扱いされている砦の、退屈で冴えない日々の中で「いつか地平線の向こうから敵が攻めてきたらみんなが自分を見返す。何もない日々は報われ、自分が主役になる時が来る」という夢想を抱いたまま生きる主人公。
基本的に何も起こらないのにぐいぐい話に引き込まれるし、特に時間経過の表現が秀逸で、後半の章では思い切った構成に思わず「えっ」と声が出そうになった。物語の核心部分なので秘密に。
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なんでこんな夢中になれたかというと、そこら中の書評で擦られてるけど主人公の生き様がフィクションとは思えないほどの実感を伴って迫ってくるからなのね。
最初はすぐにでも出ていってやると誓った古臭い砦、4ヶ月後には出られるように取り計らうからと宥めすかす上司、慣れてしまって「このままでもいいか」と思ってしまうこと、地味で報われぬ生活が育てる「いつか自分にも……」という願望、閉鎖された環境に慣れすぎて世間一般の付き合いが苦痛になっていき、青春を無為に浪費したからにはせめて甲斐があるべきだとますますか細い希望に縋る……。
本当に1940年の小説?ってくらい、2021年を生きる自分を刺してきた。
上で触れたこと以外にも、いつまでも若いつもりだけどいつの間にか若者の遊びをしなくなったとか、若い子に年長者として気を使われたことで世代が変わったことに気づいて愕然とするとか、閉じた環境で認知が歪んでしまい何気ない事象に意味を見出して一人で熱くなるとか、読んでて辛いんだけど先が気になって仕方ない(基本的に何も起きないけど)。
退官目前の上官が、50歳も見えてきた主人公に「君はまだ若いからきっといいことがあるさ(でも自分には何もなかったから君にもなにも起きないでほしい)」って一切の悪意なく慰めの言葉をかける場面なんかはもう絶句。この上官、「自分は身の丈にあった小さな幸せで満足する術を身につけたから……」って普段は枯れた振りしてるんだけど、結局諦めきれなかったんだなあって悲しくなった。四法印を説いたお釈迦様も死に臨んで穏やかだったわけじゃなく「水が飲みたい」って言い続けたそうだから、達観できることなんて無いんだねえ。
この辺は福本伸行の「天」16~18巻のアカギ葬式編で「死ぬが怖くないって言ってもどうしても3か4は恐怖が混ざっちゃうし、そもそも死ぬのは無念だけどそれも含めて人生だわ」っていう割り切らなさがかっこいいね。
真面目にコツコツ生きてればそのうち良いことあるさと、節制に努めてるつもりだけど、このままでいいやと動けなくなる前に、欲しい物を言葉にできるうちに望んで動いたほうが良いんだろうね。
4週間前の飲み会で、
「俺はもう声優とかどうでもいいから」
って余裕の表情でいたら、
「ああmarioさんはうえしゃまを諦めたんですね」
って言われたことが抜けない棘になっている。真のファンなら推し声優のために一切の手段を選ばない筈ですよね?でもあなたは我が身可愛さに興味を無くしたふりをしてるんですよね?って痛いところを突かれたようで。自分の欲しいものはなんなのか。目の前に神龍が現れたとして、願いが即座に浮かぶだろうか。
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